2010.04.01 Thu
【私的音楽評】NO.41 和田セレクト1 担当:和田

和田です。
「なんとなく音楽が好き」というだけで
評も論も持ち合わせていないのだけど、
このコーナー、当番制になったらしいので。
私が音楽に引っかかってしまった頃の思い出話にお付き合いいただきたい。
私が初めて買ったレコードは「帰ってきたヨッパライ」。
そして小学6年の頃には岡林信康やら高石友也の歌を
質屋で買ってもらったフォークギターを弾きながら歌っていた。
岡林信康「狂い咲き」

You Tube:http://www.youtube.com/watch?v=vXzDcUaATp8
当時はベトナム戦争と安保闘争の真っ只中で
若者はとにかく社会に対して「NO!」と叫んでいた。
みんなイライラしていたし、
ぶち壊すことが青い正義だった。
こうした歌はアンダーグラウンドな存在で
メインのメディアに乗ることはなかった。
背伸びしたい多感な少女期、こんな音楽に出会ったことで
私は「社会」を意識するようになる。
私が中学に入る70年には、フォークソングブームが社会現象として
取り上げられるようになった。
その担い手たちに、本人の意思とは関係なくスポットが当てられ、
ある歌い手は歌から離れ、あるいはさらに頑なに露出を拒んだ。
この頃の音楽シーンの展開はめまぐるしく、
そしてお互いに批判しあっていた。
そんな中、抗いながらも波に乗るように(うねりに翻弄されながら?)
表舞台に現れたのが「よしだたくろう」だ。
71年の「よしだたくろう・オンステージ・ともだち」の頃には
一般への知名度も上昇。

You Tube:http://www.youtube.com/watch?v=rkAJYfeBYSw
コードが4つ5つ押さえられれば、
誰もが「独特の字余りソング」を弾き語りした。
もうギターを持って歌うことが、レジスタンスでもプロテストでも
なくなっていた。
いわゆる「自己表現」の手段としての音楽。
誰でも「自分の歌」を歌っていい、「いかにオリジナルであるか」・・・
私にとっても自分探しの時代だった。
「第一集 唄の市」はそんな時代の一枚だ。

72年、エレックレコードが開催したライブの収録盤。
小室等と六文銭、よしだたくろう等9組が参加。
泉谷しげるが「戦争小唄」を叫び、古井戸の初レコード収録でもある。
制作プロデューサー浅沼勇氏は述べている。
「(このままでは唄はだめになる)真に求める唄を全国から拾い集め・・・
多くの仲間やこれから仲間になる人に知ってもらいたい・・」
だが時代の変化は加速する。
クチへんの「唄」も使われなくなった。
エレックは倒産する。
高校の軽音楽部に所属していた私は「井上陽水」を歌い、
「荒井由実(ユーミン)」「シュガーベイブ」(山下達郎や大貫妙子)に出会う。
大学時代には「サザン」、「YMO」。
ディスコにもジャズ喫茶にも通った。
世の中は「一億総中流時代」。
ちょっと遊べる年代になった私も、こじゃれたサウンドが心地よくなっていた。
最近、多くの楽曲やイベントが復活している。
「懐かしい」というより、私には「反省会」に思える。
その歌に出会った頃の自分を突きつけられるような気がする。
当時の世の中のざわめきも一緒によみがえる。
で、「よし、もう一歩進んでみるか」という気にさせられる。
今の音楽にも、きっとこんな力があるはずだ。
ARCSHIPの活動に関わる中で、そんな出会いを楽しみにしている。
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| 週刊木曜日私的音楽評 | 10:00 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑