2010.09.30 Thu
【私的音楽評】No.67 ニシセレクト20 担当ニシトオル

怪しいお兄さん達が教えてくれた事

ホッチポッチミュージックフェスのスタッフとして
ステージ裏にいたら青年から尋ねられた。
「今の歌は、あの人のオリジナルですか」
彼の言う今の歌とは、ベット・ミドラーのローズだった。
「よかったら、あちらのテントで出演者と話したら?」
そう促すと
「いや、いいです」と照れ笑いをして去っていった。
その後ろ姿を見ていたら、35年前の自分を思い出した。
(仲間に入れば面白いのに…。)
18才の頃、関西ではフリーコンサートが流行っていた。
主に大学生が公園で好き勝手にロックを演奏していたのだが、
俺は加茂川沿いのフリーコンサートの常客だった。
「さっきやった曲は何ですか?」
「ニールヤングのHeart Of Gold」
「最後にやったのは何ですか?」
「グレートフルデッドのBox of Rain」
いちいち尋ねる暗めの青年(俺のこと)は当然おぼえられた。
ある日、そのコンサートのリーダー格らしき長身の男が声をかけてきた。
「なあ、ボン(関西弁でガキの意)いつも来るなら手伝うか?」
「ええの?」
それがジムさん達との付き合いのはじまりだった。
それからの週末は公園に行き機材を運びチラシを配り終演後は掃除をした。
ご褒美は打ち上げ。
「ボン、お前はタダや。まだ子どもやし」
ジムさんも他の大学生もみんな“まとも”だったが風貌は怪しかった。
長髪、ひげ面、サイケなシャツ。おまけにジムさんはいつも足元が下駄履き。
そんな男たちが30人近くで河原町を闊歩するのだから目立つ。
その中にいると自分がものすごく大人に思えた。
「これがロックなんや」
いま思えば浅はかな考え方だ。
ジムさん達の口癖は「自由」だった。
それは別の見方をすれば自分勝手とも言えるかもしれない。
社会人になる前の小さな自由とも言えるかもしれない。
ただ18才の俺にとって彼らは平等に話せる最初の大人だった。
自由に平等に、ロックの聴き方、酒の飲み方、女の口説き方、
それらを話してくれた最初の大人であった。
音楽がつないだ不思議な縁。
ジムさん達との別れは唐突だった。
ある日公園に警察が来て中止命令を出したのだ。
表向きの理由は“電源の無断使用”
本当の理由は“怪しい若者が集まっている”
警察と押し問答をしている最中、ジムさんがステージで叫んだ。
「不自由な人から見ると、どうやら自由は恐れに見えるらしい。これが最後の曲です。みんな今まで、おーきに!」
200人近い拍手の中、爆音のようなギターが加茂川の川面を揺らした。
最後の曲は、ステッペンエルフBorn to be wildだった。

Born To Be Wild/Steppenwolf(1968)
http://www.youtube.com/watch?v=MTb1X1Lj7CM
| 週刊木曜日私的音楽評 | 22:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
今でも
カバーの定番ですな
自分も3回ほど演りました。
| フリーバード | 2010/10/01 11:54 | URL |